郢書燕説
郢書燕説
[よみ]
えいしょえんせつ
[意味]
辻褄の合わないことにもっともらしい理由をつけること。
[表記]
「郢」は中国の春秋戦国時代の楚国の首都。
[語源]
郢の学者が燕国の大臣へ手紙を書いている時、手元が暗かったのでそばにいた小間使いに「明かりを掲げよ」と命じたところ、ついうっかり手紙に「明かりを掲げよ」と書き、そのまま送ってしまった。
その手紙を受け取った燕の大臣は文の中にある「明かりを掲げよ」という言葉の意味が分からず首をかしげるが、「これは明を尊べという意味だろう。明とは賢人のことで、賢人を重用することが国の発展につながると伝えているに違いない」と勝手に解釈し、燕王に賢者を求めるよう進言し、燕王もその進言を容れて広く人材を集めた。果たしてその政策が功を奏し、燕はよく治まったという話から。
[出典]
『韓非子』外儲説・左上
カテゴリ:知恵・知識
キーワード: 地名